htmlのことを思うと、何か、言いくるめて、ごまかしているんじゃないの。感を感じてしまうのは、私だけでしょうか。
http://standards.mitsue.co.jp/resources/w3c/TR/2008/WD-html5-diff-20080122/を流し読んでみる。
もちろん、html5はワーキングドラフトだし、html5が気に入らなければ、html4でも、jisでも、好きなのを使っていいんだけれど、「俺、未来の標準だから、」宣言をして、闊歩する姿は、気になって当たり前なので、、
最近、げっぷの様に、時々、ぐっ と出てくる「思い」
なんだかんだ言うけどさ、
htmlって、「緩いもんだよね。」もともと、レイアウト崩れちゃうことも確かにあるけど、レイアウト組もうとしないで、タグも入れ子にしないで、ずらずら書いていくと、たいていは大丈夫。
もともと、それが、htmlだったんじゃないの。
いまじゃ、「終了タグなんで、省略すんの!。WEB標準知らないの?」(じゃ、おめ、知ってんのか?)てな具合。
自分の中にある、この腐敗したような思いは、どのように生まれてくるんだろうか?
一応自分に確かめてみた。
ブラウザ、良くなったといったって、hrすら、同じに表示できない。(らしい)
(ところで、hrって表象的じゃないの?)
(この問題は、html6の検討課題になっていて、hrは、ヒューマンリソースという意味になるらしいよ、、、うそ)
html4の時には、summary属性を書け書け、とバリデーションツールにしかられ、悔しさのあまり、人がsummary書いていないのを見つけると、優越感に浸ってみたり、
hrもパラグラフレベルのどうたらこうたら、言い出している。
bつかっていいことになってると思ったら、意味を変更している(今まで理解していなかったのかも)
bigじゃなくて、慣習的な、異体表現ということ?
smallは、慣習的な細字表現。smallではない。
で、後方互換性とるわけでしょ。
「smallエレメントは、smallのようでsmallじゃない。と思ったでしょ、でもhtml4だから、smallだよ。ベンベン!」
「accesskeyは、書かなくていいよ。ちょっと、書かなくていいよ。じゃないな、書くんじゃねぇ!」
こんなとりとめもない。思いが小一時間ほど、漏らされた後、
「あたしゃ、これまで、ブラウザの傲慢さに文句ひとつ言わずに、みんなに見てほしい。それだけを念じて、htmlを書いてきたんだ。」
「それがさぁ、IEは落ち目でしょ。Fxが伸してきてるでしょ。これからが大変なのよ、性格は違うしさぁ!」
「そこにきて、あんた。あたしの「htmlの道徳の教科書」改定になるんだって。自分たちのつけ、私たちに全部回ってきてさ、だいたいさぁ、html4から10年だよ。も、アッタマきたからさぁ、湘南の海に泳ぎにでも行こうかなぁ」
質問者の私は、回答者の私自身に、正直 びっくりでした。
質問者の私は
「もう少し、聞いてみたかったんだけど、ちょっとこれから、約束があるもんで、また今度ゆっくり聞かせてくれる?。日本酒だったよね。おぼえているなぁ、しばらくそういう機会なかったもんな。じゃまた、」と言って、
自分と、速攻、別れた。