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先日、ブログの話を、古い友人とした。
ブログをやっている知り合いがいて、その人のページを見に行くこともあるが、
エントリーを書くことに費やす時間がもったいない。
と、考えているようだった。
数行のコメントを得るためにする労力としては大きすぎる。ということだった。
知りたいことがあれば、知り合いに電話して聞けば、確かなことがわかるし、別に、ネットに依存する必要はない。
ネットに期待するのは、自分のやり方では、見つけられない特別な情報。人に教えたくない「特別なやり方」。
普通の考え方だと思った。
エントリのネタが切れたり、面倒になってブログを止める人もいるし、直接話をしたほうが、話の中で触発されたり、見えてくることも多い。
インターネットは、私も、調べ物に使うことが一番多い。
更新の労多く、報いの少ない、あてにさえならないとしても、なを、
「ブログ」を斬ることの説得力にはならない気がした。
例えば、「誰の為に書くか」
コストは、一人のために書くエントリなら、コスト超過するかもしれないが、1000人で共有する為のエントリなら、異なる
知りたい事を、教えてくれる専門家が身の回りに既にそろっているなら、その人の方法論は、既に硬直化している。
専門家といっても、アンテナのない人もいる。それが本物かどうか、見極めないなら、先は見えている。
と、言えなくもない。
誰かの書いたブログのエントリの価値を測定する方法なんてないし、たとえ神であっても、未知の事はあるだろう。
どのページからどのページに移動した人がどれぐらいいるとか、そのページでサイトを離れたなんて、傾向を見ているにすぎない。
ドキュメントの価値は、PVなどで決まるものではない。どんなに価値のあるドキュメントでも、ほとんど誰も思いつかない表現で書かれていたなら、誰もそこにたどり着けない。ある時に、その不思議なキーワードを思いついた人に発見されるまで、長く、ネットの奈落に眠るそれを、無価値だとはいえないだろう。
自分のほしい情報があったら めっけもの と考えるユーザの意識は、移り気だし、たいてい気になっているのは、特定の検索キーワードでしかない。
ちょっとあれだけど、
#ネットに期待するのは、自分のやり方では、見つけられない特別な情報。人に教えたくない「特別なやり方」。
って、彼はいっていたけど、
私はそれもインターネットでは、超困難だとおもっている。
インターネットは、テキストフィールドに表現可能な、テキストを以って検索するしかないから、知らないことを調べることは、「狙って出来にくい」
知らないことを調べようとしても、それをどんな言葉で探したらいいか、せいぜいサジェストで選択肢を選ぶぐらいで、めっちゃ弱い。
さらに、ブログの何割かは、スパムなどといわれているけれども、
それでも、
達成すべき目標がある人にとっては、ブログは今でもかなり使えるツールだろうと思う
広報のための、コストはほとんどかからないし、ユーザがどれぐらい来ているかの解析も可能だ。
きわめて不確かでも、その傾向だけでも、何もないよりは、相当いい。と思うものだ。
簡単に、経費もかけずに、自力で行える魅力は消えない。
何かのプロジェクトをスモールスタートさせるなら、ブログやCMSをツールとして使おうという考え方は、
悪くない。
でも、インターネットを見ればわかる。たいていのプロジェクトは、成功しているとはいえない。
誰でも、簡単に、うまくいくはずがない。
ブログも、スタートさせるプロジェクトも、同じこと。