検索とブックマーク


インターネットとそれを利用するイメージを言葉にしようとすると、


WEBページという、土くれの中に、巣を作る蟻のイメージがぴったりとくる。


ブラウザの画面1ページに表示できる情報量 = 土の粒度


検索という方法でしか、WEBを見ることが出来ないので、自分のボキャブラリから、脱出できず。


蟻の巣の構造が出来てくる。



インターネット検索は、形式的には、 「積読」 なんだと思うけれども、


実際は、読みきって次、読みきって次、などということはしない。



どこか、自分の意に沿った「拾い読み」をする感覚でしかないから、「触発され」感が少ないのかもしれない。


インターネットが、百科事典のような情報取得ツールから、コミュニケーションのツールなどといわれるようになってもいる。


オープンソースプロジェクトのポータル(sourceforgeなど)を見るとたくさんのオープンソースがある。

あのような場所から見て取れるのは、ひとつの目的で、人が集まったり、運動を継続していくことが、いかに困難な高度なテーマなのかという事だと思う

もっとも成功しているコミュニケーションのプロジェクトは「人間社会」というシステムで、インターネットは、まだ、コミュニケーションのツールとまでは、いえない


インターネットの有り様や、使い方に、なにか大きな勘違いをしているような、「いやな予感がする」


TwitterのロゴをW3Cのホームページで見かけた。

確かに短い言葉の中に、強く引かれるものを感じることがある。

急いでいるし、調べなくてはいけないし、見極めなければいけないし、そう思って一生懸命探し物をしている中で、短い文章が、席巻する感覚は、夢中で車を運転していて、我慢が出来ずに川端等に車を止めて、ドアを空けた瞬間の、自分と周りの世界のギャップに驚くのと似ている。


しかし、インターネット全体としてみた時に、あのようなリソースは、ネット上でどのような位置を占めていくのかと思うと、ちょっと気になる。

落書きは、楽しい。何百年もたてば、「その当時の、市民感情が表出した貴重な資料」とされるかもしれない。
 そういうときを迎えるまでは、シュレッダーダストのようなものでしかないとも思う。




多くのブックマークを集めるブロガーの人たちというのがいる。

常にすごい数のブックマークがついている。



あこがれて読むこともあるんだけれど、「異常につまらない」事も少なくない。


ブックマークというのは、エントリの内容ではなく、ブロガー自身に向けてついていることもあるようで、

ちょっと気になるので、とりあえずブクマしておくということは、自分自身がしょっちゅうやっていることなのに、いっぱいついていると、つい気になる。



気になるから、ブクマして、読んでみると、つまらないという経験をどんどんつめば、インターネットは、考えるまでもなく、つまらないものになっていくことだろう。



だから、

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