0806
foto:折鶴 - Wikipedia
8月6日は、63年目の原爆の日
ただ、今日の、地方紙の一面には、原爆の日にまつわるの記事を、見つける事がなかった
仙台では、恒例の仙台七夕が時を同じくして始まる。
七夕前夜の、花火大会は、仙台人にも結構人気だ。
ご多分にもれず、私も、仙台の通りを埋め尽くす観衆の中にいた。
花火を見ていると、去年も見たな。その時の事を思い出す。そこから、いろんなことを、「どーん」とあがる音の中で、思い出していく。
「いろいろ、あるな。」そう思った。
新聞のコラムには、「ホスピタリティ おもてなしの心」について、書いてあった。
東北には、「押し付けがましくない心配りがあり、」それを、「東北の大きな精神インフラ」と評した人がいるという。
6月14日の内陸地震、観光客の減少。風評を懸念する、気持ちが、そんなコラムを書かせたのだろうか?
遠い記憶だけれど、子供のころ、つまりまだ、夏休みの真っ只中にある頃も、この日は、ちょっと普通じゃなかった。
モノクロのテレビから、8時少し過ぎた頃に、平和公園が映し出され、黙祷をささげる。
その時間は、笑ったり、ふざけたりしてはいけない時間で、母や、じいさんや、ばあさんは、その時とても神妙だった。
学校の朝礼も、似た所があった。「前へ、倣え」なんて号令かけられて、緊張した顔をしながら、心では、なんか、もぞもそしていた。
今日は、そんなことをちょっぴり思い出す 私にとっての、特異日のひとつなんだ。