htmlを書くときに必要なもの。
htmlを書くときに必要なもの。
私は、調べ物に、インターネットを良く使う。htmlタグの書き方を参考にすることもあれば、
こんな場合は、どんなかきかたをすればいいのか、判断に迷うこともあるので、頻繁に使う。
その情報が、どの程度的を得ているのか、自分でやってみなければわからない。
インターネットエクスプローラ以外にブラウザを知らない人と、それ以外のブラウザを知っている人では、評価の分かれる情報も多い。
要は、見た人が、満足するかどうかにかかっている。
ワードなどで、チラシに近い分量のドキュメントを作ることは、仕事などでいやおうなしに発生する。
少なくても私は、ワードで文書を作るときに、きちんと見出しを作ったりしない。
文字の大きさをそれらしく整え、レイアウトを、それっぽくする。
結局のところ、ページのレイアウトと、文字の大きさの制御など、簡単なことができれば、ワードでもエクセルでも、オープンオフィスでも、グーグルのスプレッドシートでもいい。
結局印刷して、誰かに渡すだけだから。
では、htmlドキュメントを作ろうとしたときに、なぜ正しい書き方を覚える必要があるのか
htmlドキュメントは、テキストファイルだから、誰でもいつでも、ソースを見ることができる。
だから、「こいつこんなことやってるよ、あほじゃないの?」
「見た目は、かっこいいけど、やってること見たら、あいつの仕事と一緒じゃないの、、、、」
等と、面倒な思いをして、作ったドキュメントでさらに、うわさされた日には、立ち上がれないのだ。
(実際には、作ったドキュメントを他人に見せたら、ぐしゃぐしゃに表示されてなどという事件があったりして、)
そんなことで、「最低限のかきかたぐらいは、覚えておこう。」となる。
そういえば、前回のエントリのリンク先に、こんな記述があった。
正しいWebの普及・啓蒙* 文法的に正しくないWebページが氾濫
o 標準化しただけでは使われない
o 正しいことが必要なことを啓蒙
o Validatorなどのチェックツールを公開
* 文法的に正しいだけではダメ
o 形だけのチェックでは不十分
o 設計精神に従って使わないといけない
「設計精神に従って使わないといけない。」という記述が目に飛び込んでくる。
web上では、正しいwebページについての、具体的な記述法を示すものが、とても見つけにくい。
例えば、
エレメントH1は、そのページの始まりに使っていいのか、そのドキュメントのタイトルに相当するものとして、それぞれのページでは、h1を使わないほうがいいのか、
h1の次に、h3が続くのがなぜ、良いとされないのか、
第一章
- 第一節
こんなときには、どんな書き方がいいのか?
テーブルエレメントでレイアウトをしてはいけないというが、どんな場面でどんな範囲で使うものなの。
データを見やすくレイアウトするためにテーブルタグがあるとしか思えない、
htmlは所詮、人が「この方がいいから、こうしようぜ」と決めたものなんだから、言い出した人たちが、言葉を尽くしてほしい。
翻訳したものを参考にするしかなく、日本語のためのタグはもともとない。
感動する日本語htmlには、あったことがない。
ごく正しいことを、ごく普通に、と思っているだけなのだけれど、「正しいWebの普及・啓蒙」といった硬脆な言葉。
別に、htmlに限らないことかもしれませんが、「正しさ」とかを求めると、「すべきだ」「すべきでない」が多くなる。
embedエレメントは、ブラウザ依存エレメントだから、フラッシュやめるか?
「ターゲット属性_blankは、使うべきじゃない。」と、バリデーションで注意を受ける
あるサイトでは、「リンクする場合は、_blankでね。」と書いていた。じゃ、リンクするのやめる?
誰かが囁く:
<a href="http://d.hatena.ne.jp/" onclick="this.target='_blank';" onkeypress="this.target='_blank';">hatena</a>
:lintが沈黙するblankリンクがこれだ。
でも、これ、lintがjavascriptの内容を見てないところに付け込んだ。詐欺的行為ではありませんか?
誰かが囁く:
清濁併せ呑んでこそ オトコ(オンナ)。
このドキュメントは、広く公開しようという趣旨のものではないのかもしれないが、どこからでもアクセスできる状態なので、誰でも見ることができる。
このドキュメントには、何かのプレゼン用の資料として作ったもののようですが、
web標準化のことが書かれていて、プレゼン用のスライドも、w3cのものらしい。
でも、このドキュメントを、矢印キーで操作して閲覧することが、普通にできる人は、少ないだろう。
helpを見て、英文を当たり前に流し読みして、ふーんとかうなる人もさらに少ないだろう。
ある特定のディディールを持つ層を、相手にした特別な企て(プレゼン)に使ったものだから、アクセシビリティもヘッタクレもないようなものだと思うが、htmlを学ぼうとする人たちは、そのような場所からでも、htmlの精神に触れたいと思い、ドキュメントを読み漁る。
だから、そのような場所には、常にW3Cの精神が宿っていてほしい。
なぜ、htmlを学ぼうとするものは、そこまで粘着質になるのか?
念のため:ごく個人的な見解です。当てはまらない人も多いと思います。
- htmlって、教えてくれる人がいない。
- html書けます。というと、画像をドラッグして、ここに配置して、文書をぺたりと貼って、それだけで、「楽して、なんかできるような顔している人種。」と、実は、そう思われるんじゃないかとびくびくしてたりする。
- htmlに関する。異常な現象は、html作っている人間の責任。htmlのあらを見つけるのは、簡単だし、「そんなこともできないで、がっかりだ。」と残念がられると、すぐに下を向く癖がついている。
- よくできて、職人。表現者でも設計者でもない。
- 良いhtmlを書くことが、何に貢献していることになるのか、わからなかったり、理解してもらえなかったり。
私の、実験と憶測による、「今日も、妄想html」